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成都にて

今回の四川滞在もあっという間に最終日となりました。

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東山動植物園

東山動植物園、行ってきました。
子供さん連れで非常に賑わっていました。

こちらの動物園には、

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バルカム(馬爾康)、2011年9月

バルカムへ行ってきました。
ギャロン語を勉強していたので、あまり観光地の写真などはありませんが、記録的に撮ったものをいくつかアップしておきます。

四川省西部地帯の街は、その多くが山間の川辺の狭い平地にあります。
(その不便さのおかげで、互いに異なる言語文化が保たれてもいるのですが……)
バルカムもその一つ。
地元の人の主な言語は、ギャロン語です。
今回ギャロン語の勉強でお世話になった農家の女性は、就学経験がなく、漢字も読めないし、チベット語も話せません。農村の中年以上の多くの人が同じような言語状況にあります。
彼女の話すゆったりとした漢語四川方言と、私のナントカカントカな中国語が、媒介言語でした。

そのバルカムですが……

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汶川映秀・追記(雑感)

先ほど映秀付近の写真をアップしましたが、少し追加です。

今回は、行きも帰りもくすんだ空でした。
新しい国道は、古い国道を避けるように、川の対岸に伸びていました。
対岸に、埋もれたまま掘り起こされていないかつての道を見ながら進むのは、なにやら凄まじいものに思われました。
山肌は、草に覆われたところと砂利がむき出しの所がまだらになっていました。
地震から3年を経て、ようやく緑になってきたのだそうです。
今年の夏も新たな地滑りや土石流が頻繁に発生し、何度も通れなくなったそうです。地震で地盤が緩んだせいだろう……と四川の人たちは言っていました。

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汶川県映秀を通った

バルカム(馬爾康)へ行った帰途、成都まで戻ってきました。
今回、2008年四川大地震の震源地近くも通ってきましたので、先にそのことを書きます。

政府の強力な復興施策により、成都からバルカムまで、新しい国道がほぼつながっていて、道のりは快適でした。また、都江堰から汶川まで続く高速道路が着々と建築中です。

汶川県映秀鎮から汶川鎮よりの一帯では、手つかずのままの旧国道や壊れた橋、崩壊した建物などが、「地震遺跡」として残されています。

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アバ州、カンゼ州

現地の状況に詳しい方の話によれば、現在、以下の地域で「はっきりと通達は出ていないが外国人を入らせないようにしている」とのことです。

・カンゼ州全域
・アバ州のうち、北部草原地帯の4県(若爾蓋、紅原、阿壩、壤塘)


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成都到着

ばたばたと出発しましたが、無事に成都に着きました。

半年ぶりです。

ほんの半年ぶりなのですが、毎回、変化に驚かされます。

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持って行くもの

今年は諸行事の関係でフィールドに行く時期がずれ込んでいますが、あと何日かしたら(学会一つ終わったら)出発します。

海外に行く時長年愛用していた、斜めがけのポシェットがありました。PORTERのちょっと縦長のバッグで、小さいのに、フタの裏の隠しポケットに、航空券がスルッと入る。体に沿う側にも大きく開く平たいポケットがついていて、宿のカードキーや南京錠の鍵などの無くすと困るものがぴたっと入る。

気に入ってずっと使っていたのですが、昨夜、部屋に見当たらず、冷や汗と暑い汗をかきました。
中に入れていた物は、それなりに然るべき場所(ひきだしとか)にある。出して整理したことは間違いないのに、かんじんのバッグがないなんて……
で、仕方ないと諦めた頃に思い出しました。

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偽ブランド(日本)

妙な話を聞いた。

最近、京都の繁華街にできた、ぴかぴかの和菓子屋さん。

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「語り継ぐこと」、雑感


元ちとせの『語り継ぐこと』っていう素敵な歌がある。

この季節、体験を「語り継ぐ」というキーワードをしばしば見かける。

何年も前に亡くなった母方の祖母は、よく戦時中の体験を語り聞かせてくれた。

看護婦として満州に行った。
土匪は怖かったけど、怪我や病気の人を相手にしていると、日本人も中国人も同じだと思った。
現地の子供たちはかわいかった。
終戦後の引き揚げ。何もかも無くした。
大きな船に乗った。途中、黄色く濁った海を渡るとき、ここで死ぬのは嫌だと思った。
そのうち、青くてきれいな海に出て、ここでなら死んでもいいかなと思った。
でも、生きて帰った。

子供の頃に聞かせてもらった話は、断片的だし、私の記憶も曖昧だ。

「語り継ぐ」と言うなら、祖母が亡くなった今、小さな姪や甥に、生きている私たちが聞かせる番なのだろう。
断片的であったり曖昧であったりすることを恐れず、できれば同じ人から話を聞いた別の人や、歴史の記録から話を補えばなおよいかもしれない。

ダパやスタウをはじめ、文字のない言語の語り手たちは、ただそのようにして、言葉や物語を継承してきた。

日本語には発達した文字文化がある。戦争のお話は、いくらでも既製品が入手可能だ。もしかしたら、そのぶん、語ることの役割が軽くみられがちかもしれない。

でも、自分につながる話として追体験するには、身近な語り手の話が最も有効だろうと思う。

私の身近で、戦争を直接体験した人は、もう、数少ない。

私たち自身が、「語ること」から「語り継ぐこと」への出発点に立っている。


815を明日に控えての雑感。夫の故郷へ向かう列車にて。
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